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Tommy Far East


Interview by Shizuo Ishii

 レコード・コレクター、セレクターの中でもセカンド・ジェネレーションの雄として日本はおろか海外からもお呼びがかかる多忙なTommy Far Eastこと富田実。仲の良いKeith & Tex初来日ツアーでもセレクターを努める。

 トミーが初めてレゲエに興味を持ったきっかけというのが、それまで行っていた古着屋で流れていたスカだったという。中学から高校にかけては大のアメカジの古着好きで、新品ではない時を経たモノにもともと興味を持っていた。その古着屋で貰った1本のカセットから始まったアナログ探求の旅は、UKのスペシャルズやギャズ・メイオール経由スカタライツとなり、ついにはジャマイカのディープな音にハマることになる。

Tommy Far East(以下、T):高校帰りに神奈川の本厚木にあったディスク・ユニオンに行って、まだレゲエ・コーナーも無くて、ワールド・ミュージックっていう所に“SKA”っていう字があったら全部抜いていって、でも裏を見ても全然分らないですよ、情報も無いし。今みたいにソウル・ジャズ(レコード)も、ロッカシャッカも、ダブ・ストアも無いですから、とりあえず買って聴いていくうちにスタジオ・ワンの白黒のレーベルの7インチに「なんじゃこのユルい音楽」みたいなアルトン・エリスがあったんですよ。とりあえずスタジオ・ワンは再発で出てる分だけ買って「これはスカだ、これ当たりだ」って手探りで色々聴いていくうちに自然とロックステディも、アーリー・レゲエもいいな、ルーツもいいなって。
ディスク・ユニオンとか服屋のオア・グローリーにイベントのフライヤーがあって、友達とそのイベントを見に下北に行ったりしてるうちに「この間かかってたのがプリンス・バスターだ」とか、「あれがリー・ペリーだ」とかちょっとずつ知識が増えて、それでCLUB SKAまで辿り着いて、高校生ですよその頃、怖いスキンヘッドがみんな整列して並んでいて、その人達となんとか話しをして。

●ナベ(渡辺浩司)ちゃんがやってたイベント?

T:そうですCLUB SKA、まだインクスティック芝浦とあと公園通りのインクスティックですね。あそこも凄く人が入ってて、そのセレクターに「レコードどこで買ってるんですか?」って教えてもらって新宿のオレンジ・ストリートに友達と行ったらマイティ・マッサの長井さんがいて、レコードを紹介してもらったり、そこに集まってるうちに色んな知り合いもできて、今度は「通販で大阪にいっぱいあるよ」みたいな話も出て、それが林さん(ドラム・アンド・ベース)とか森井さんとか今でもある京都のブラック・アークの小島さんとかの通販を知るんです。けど僕らは高校生でしたから、レコードを通販で買うって不思議だなと思いつつ電話をするとリストが届いて、そこに電話して電話越しに曲を聴かせてもらうという、、、。 高校行っても、もう休み時間にリストを見ながら、職員室の横の電話ボックスから「リストのこれありますか?」って。
そのお金は当時集めていたアメカジの古着のコレクションを崩してレコードにハマっていきました。最終的には全て売って塩化ビニールに(笑)。

●あ~あ(笑)、じゃあ元々がすごい凝り性なんだ。ではなぜレコードだけにシフトしたのかな?

T:古着に関して言えば、すごく綺麗な(クオリティの良い)昔のをゲットしてしまうと、もう履くのが怖いとかそういう気持ちも芽生えちゃうんで、これはあまり意味が無いなと思えてきたんですよ。レコードだったら聴くっていう実用性があるんですけど、スニーカーなら例えば1960何年のスニーカー、箱付のデッドストック、けどこれを俺が履いちゃって破いちゃったら怖いなとか、これ7~8万で買ったのになんか怖いなと。 綺麗なのを欲しいのはどっちも一緒ですけど、古着は僕にとってあまり実用性がないなと思い始めてきて、レコードだと聴けるし色々と出来るんで、ああやっぱ音楽は良いなって思いました。

●レコードを集め始めてから何年になるの?

T:オリジナル盤に凝ってからは21~22年くらいですかね。高校を卒業してイギリスに買いに行き始めたんですけど、その頃はサラリーマンだったので行けても5日間とか6日間、それってイギリスだったら3泊5日なので、これはもうサラリーマン辞めようと。

●それは何年なの。

T:1999年とかですね、仕事を辞めてこれで30迄に食えなかったらサラリーマンもう1回やり直そうと考えて年に2~3回イギリス行って、多い時は4回くらい。仕事をやめた直後はハローワークの呼び出しがある時だけ帰国して、またロンドンへと帰って。その頃は日本人でイギリスに買いに行ってた僕らより上の世代の人たちがちょうどいなかったんですよ。留学してた人も帰っちゃったりとかで。僕も行き始めて向こうのセレクターとかアーティストとかと自然に知り合いになっていって、その流れで2002年に青山のCAYで林さん(ドラム・アンド・ベース)と初めてアルトンのイベントをやったんです。ライブは大成功でした。それで次は「デタミネーションズでプリンス・バスターをやりたい、デタミこそがスカタライツだ」って、話になったんです。
 その頃EGO-WRAPPIN’の森さん、デタミの晋さん、林さん、ユニバーサル/アイランドの寺口さんと僕の5人で「ナイト・フード」っていうDJイベントで全国ツアーを1回廻りました。それをやってる時にも若干違和感があって、自分を表現出来ないなと思ってもこれも修行だなと思いながらやっていたんです。まさにメジャー・レコード会社を感じました。その間に自分のカセットテープとかをイベントで名刺代わりに売ったりしてました。その粘りもあったせいか北海道とか秋田の人たちから個人的にイベントに招待してもらえるようになり「ナイト・フード」からどんどん離れていって僕だけ辞めたんですよ。その後も『ロッカシャッカ』の選曲とリリースは続いていきました。何年か経って2006年にドイツのハンブルクの「キングス・アンド・クイーン」っていうイベントから初めて外国の営業の話がきて凄いなと思ってそこのオフィシャル・サイトを見たらスキンヘッドだらけ、ジーパンにサスペンダーしたボウズばっかりで、昔スキンヘッドとかパンクとかそういうのを好きだったので、こんなとこでレコードかけたらどんな気持ちになるんだろうなっていうので行ったんですよ。その時は飛行機代半分で、ホテルとか飯とかは全部出すって条件ですけど、それまでは自費でイギリスまでレコードを買いに行ってたので全然行きますよみたいな感じです。何よりもせっかくきた話だったので挑戦したかったんですよ。行く前には廻りに色々言われましたが(笑)。

●ハッハッハ。

T:僕は、いや問題無いです、絶対結果残してくるって言いきって出演しました。結果そのイベントがきっかけで他の国に呼ばれる様になったので出るなと言われたのを押し切って出たのは正解だったみたいです(笑)。 一番デカかったのが2009年、ロンドンにペニー・リールっていう白人のライターがいて、デニス・ブラウンの「オブザーバー・ステーション」っていう本を書いたり、ボブ・マーリーと一緒にサッカーやった事があるっていうちょっと変わり者のおじさんですけど、その人とオールディーズのサウンド・クラッシュがあったんですよ。その時もイギリス人対無名の僕っていうので凄く注目されて、リバイバル系のサウンドマンとかがみんな来て、僕は90年代後半から行ってるから昔のサウンドマンとかも知っていたので、僕側にうまく付いてくれて、最後の tune fi tune で良い結果に出来て勝ったんですよ。緊張やプレッシャーもありましたがやれてよかったです。その動画などがYoutubeなんかで配信され、今度はロサンゼルス、メキシコに呼ばれる様になっていったんです。あとはニューヨークだけだなと思ってたら、やっと去年ニューヨークもトニー・スクリューと、映画Rockersでバイクに絵を描いてるジャー・ワイズっていう人やデッドリー・ドラゴン・クルーとやれてって感じですね。最近はアメリカ方面が多くて来年二月にブラジル・ツアーが決まりました。初の南米は今からぞくぞくします。

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