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DUBFORCE


Text by Takeshi Fujikawa Photo by up_tyo, Masataka Ishida

 ダブフォースは、元ミュート・ビートの屋敷豪太(ドラムス)、ダブマスター・Xこと宮崎泉(ミックス)、増井朗人(トロンボーン)の3人を核に結成された。過去2回のソロ・ライヴに参加したのは、Watusi(ベース)、アイゴンこと會田茂一(ギター)、巽朗(サックス)、エマーソン北村(キーボード)の4人。それにデビュー・ライヴではトランペットには多田暁、2回目では多田に代わってオレスカバンドのSAKIがプレイした。レゲエ・フィールドでの活動も盛んなエマーソン北村や巽朗の参加は意外なものではなかっただろうが、Watusiや、朝本とはラム・ジャム・ワールドで活動していたとはいえ、アイゴンの参加を意外に思われた方は多いかもしれない。Watusiは今でこそダンスミュージックのクリエイター、DJとして活躍中だけれど、古くからベーシスト、アレンジャー、プロデューサーとして活躍してきた人物。屋敷の後のミュート・ビートのドラマーだった今井秀行とコンビを組んでいたこともある。アイゴンはエル・マロ、FOE、LOSALIOSでの活動や、木村カエラや柴咲コウのツアー・メンバーなどでも幅広く活動中だ。ダブフォースのメンバーたちがこれまで一緒にやってきたアーティストたちをざっと記すだけでも、相当な迫力になるだろうが、経歴だけで実力は折り紙つき、なんていう気持ちはさらさらない。でも、これまでのライヴをすべて見てきた僕が言うが、その素晴らしさは保証する。今回はその中核の3人に伺った話を交えつつこの新バンドを紹介したい。

「バンドがいいとね、手間がかからないから判断に余裕ができるんだよ。ここってところで手が伸びる。」(宮崎)

 14年9月、元ミュート・ビートのキーボード奏者、朝本浩文が不慮の事故で今も意識がない状態にあることは皆さんご存知だろう。

「みんなが手弁当で、売上を全部渡すっていう朝本のためのイベントやりたかったんだよ。誰かが儲かるんじゃなくてみんなが手弁当。それで石井さんに相談した」(宮崎)

 石井さんとは、ミュート・ビートをマネージメントしていたオーバーヒートの代表。同じ時期に、朝本と親交のあったドラマーの伊藤直樹たちも朝本へのイベントを企画していたので一緒にやろうということになり、2015年3月19日開催のAsamoto Lovers Aidへとつながった。そこにはリョー・ザ・スカイウォーカー、シュガー・ソウル、いとうせいこう、宮沢和史といった朝本に縁のあるアーティストが集まり、UAはカナダからのヴィデオ・レターで参加、朝本へエールを送った。この時のステージを支えた朝本に縁ある演奏家たちがダブフォースの母体だ。

 日本で今ほど広くレゲエやダブが広く聴かれるようになったのにミュート・ビートが果たした貢献はとてつもなく大きい。80年代、ミュート・ビートの活動は、レゲエやダブの魅力を多くの人に伝え、レゲエやダブに興味を持つ演奏家を増やし、後にレゲエ、ダブ・バンドを誕生させる発火点となった。それとともに最も重要な点が、それまで日陰の身であることが多かったエンジニアの重要性に関心を向けさせたことだった。エンジニアをメンバーにしたバンドというのは、ぼくの知る限りミュート・ビートが最初だ。スタジオ・アートであったダブをライヴの場で披露するためには、エンジニアがメンバーであることが必須だった。
 ミュート・ビートが精力的に活動したのは80年代のそれほど長い期間ではなかったにもかかわらず、短命だったことを感じさせないのには、いくつか理由がある。最大の理由が、ミュート・ビートに在籍していた人たちのその後の活躍だ。80年代のミュート・ビートは知らなくても、その後のメンバーたちの活躍からミュート・ビートの存在を認識しているという人は驚くほど多い。

 「Asamoto Lovers Aidでやった時のバンドがとても良かったんだよ。元ミュート・ビートの僕らがやるんだからダブも継承して、いろんなゲストも入ったけどダブを絡ませて。それがすごく楽しかったの。ミュート以降、ダブのバンドってなかったわけじゃないけど、縦横無尽にダブやれるバンドってそうあったわけじゃないじゃない? でも僕らはできちゃうわけで、この気持の良さは1回じゃ終わらせるべきじゃないよねっていう話になって、続けたわけ」(屋敷)

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