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The Rocksteady Night [Tribute to Alton Ellis]


Text by Ichiro Suganuma +“EC”
Photo by Real☆Shot MASATO(Quattoro)、JUNYA S-STEADY(Socore), “EC”

今年はRocksteadyが誕生してから50年だと言う。実は1992年、渋谷クアトロで開催した“The Rocksteady Night”から数えて24年。その時にグラディたちと初来日したのがカールトン&ザ・シューズだった。映画Ruffn’ Tuffにも出演したアルトン・エリスが2008年に他界して8年、彼の命日に合わせて東京と大阪で行われたこのイベントは、両日とも大盛況で大熱唱だった。記憶に残すべく行われた“The Rocksteady Night”で初めて顔を合わせた二人のインタヴュー。

Carlton Manning (以下M):ロックステディが生まれた頃私はそこにいた。当初はカリプソ、そしてスカが登場して、その後ロックステディになったんだ。私は1968年にスタジオ・ワンに行きはじめたが、それはロックステディ期だった。スカをスローにプレイすることによってロックステディは生まれた。そこにはクリストファーの父、アルトン・エリスやケン・ブース、ボブ・マーリー、マーシャ・グリフィス、ボブ・アンディらがいた。ボブ・マーリーはロックステディというよりはスカだったが、アルトンはスカ、そしてロックステディの時期にそこにいた。

ロックステディは過去、そして現在においてもスタジオ・ワンで生まれた最も価値のある音楽だと私は思う。ロックステディは傑出したモノだが、今のジャマイカではロックステディの作品はあまり生まれていないね。だが、数少ないが私のようなアーティストは今でもロックステディだ。私は楽器も弾くからジャズやスカもやる。ジャズはファンデーションだ。ジャズを演奏するのは好きだ、歌うのもね。ロックステディは今でもジャマイカで生まれた最も進化した音楽なんだ。

 私が最初に“レゲエ”という言葉を音楽と関連して知ったのは、コクソンがスタジオ・ワンから出したアルバム『Reggae In The Grass』 だった。しばらくすると人々がレゲエとという言葉を口にするようになった。でも彼らがレゲエと呼んでいる音楽は、私にとってはロックステディだった。音楽は変わっていなかったよ。それはロックステディと同じだった。

Christopher Ellis (以下E):そうさ、1本の木に例えればそれぞれの葉がロックステディであり、スカであり、ダンスホール、そしてワンドロップなんだ。それら全ての音楽の傘となるのがレゲエなのさ。
ワンドロップはロックステディだ。音楽には色々な要素がある。ファンも同じだ。そして広い。素晴らしいと思う。
ロックステディが生まれた頃には、僕はまだ生まれていなかったから父から色々聞いたよ。スカが出てくるまで父はソウルやR&Bを歌っていたってね。父のスカの曲はあまり多くない。「Dance Crasher」「Cry Tough」とかだね。

 父が言っていたのを覚えている。「ロックステディに変わり始めてその音に魅了されたってね。とてもしっくりきたんだね。「Girl I’ve Got A Date」「Rock Steady」「I’m Just A Guy」「I’m Still In Love」なんていう曲も誕生したから素晴らしいことだったと思う。レゲエの進化も素晴らしいと思ってるよ。僕はロックステディを愛している。僕はダミアン・マーリーのプロデュースで『Better Than Love』というEP をリリースしてとても成功しているよ。そのすべてはロックステディだと言っていい。

こうして日本に来ることができたのもそのおかげなんだ。ロックステディはとても重要で、ファンデーションでありそれは今でも強力だ。今でこそロックステディはあまり誕生していないが、名曲は永遠に聴かれ続けるんだ。

M:私はロックステディを作るのをやめたことはない。一度もだ。今、自分がアルバムを作るとしたら、スカが2曲、R&Bが1曲、その他はすべてがロックステディになる。私はロックステディをずっと愛している。それはロックステディに音楽を感じるからだよ。
自分が書いた歌は、誰も私が感じるように感情を入れて歌うことはできない。同じようにあなたの曲を私が歌ってもあなたが歌うようには歌えない。それは自分の一部だから。オリジナルを超えることができるアーティストは数少ないのさ。

●今回の「The Rocksteady Night」は”Mr. Rocksteady”、アルトン・エリスの追悼コンサートでもあり、アルトン・エリスの息子クリストファー・エリスが父の楽曲を歌うのを楽しみにしているファンがいます。

E:僕の父がアルトン・エリスだという事実はいつまでも変わらない。僕はその事実を愛しているんだ。もちろん自分はソロ・アーティストとして自分のオリジナルの曲を歌う。この6年間マーリィ一家のレーベルとサインをして、世界をツアーしているよ。だけど、世界中どこに行こうが父アルトンの曲を自分のセットリストの中に入れている。たとえ自分に20曲のヒット曲があったとしても、自分がコンサートをする時には父、アルトン・エリスの曲を歌い続けるよ。
 それは今始まったわけではなく、11歳の頃から父と共に世界中をツアーしてデンマークにもスウェーデンにも行ったし、17、18歳になった時はフランスにもいった。父と同じステージに立って父が5曲歌ったら、自分が2曲歌うというようにそのままステージに残って、お互いが歌うようにしていたんだ。ずっと彼から学んできて、今こうやって父を追悼するコンサートのために自分は来日している。最高の夜になるはずだよ。

ケン・ブースなどあの時期に活躍したアーティストたちに逢うと、僕は父の存在を感じるんだ。僕はカールトンと会ったのは、今回が初めてだけど同じように父の存在を感じたんだ。音楽だけではなくその時期のアーティストたちや音楽そのものの成り立ちにもだ。彼らは当時自分たちがやっていることは特別なこととは知らずに歌っていただけかもしれない。50年、100年経ってどうなっているかなんてね。私はレジェンドなアーティスト達に会い彼らのことを知るたびに、彼らの子孫であることを誇らしいことだと思う。父の肉体はもうここにないかもしれない。でも僕は彼の魂を感じるんだ。

M:私も感じるよ。

E:ケン・ブース、ジョン・ホルト、デルロイ・ウィルソン、こういった人たちの存在をこのオフィスにいる今でも感じることができてとても嬉しい。

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