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Greensleeves 40th


Text by Takeshi Fujikawa(藤川毅)

 2017年は、イギリスのレゲエ・レーベル、グリーンスリーヴズが創立40周年。僕がこのレーベルに親しむようになった80年代初頭、レゲエを数多く手がけていたアイランドの音源を配給していた東芝EMIがレゲエをリリースしていたし、英トロージャンやレゲエも少し取り扱っていた英ラフ・トレードの作品も国内で配給されていたので、国内盤でレゲエのリリースも少ないながらあった。けれど、その量は十分ではなかったから、もっとレゲエを知ろうとすると必然的に輸入盤に手を出すようになる。当時はレゲエの専門店といえるような店はごく僅かだったし、その質量は今と比較にならなかった。ロックやソウルを取り扱う輸入盤店でのレゲエは、片隅にわずかばかりのコーナーがあるだけで、そこにあるレコードも英盤と米盤が主流だった。そんな時にレゲエを聴く際に避けて通れなかったレーベルがいくつかある。米VP、米シャナキー、米ハートビート、米RAS、英ジェット・スター、そして本稿の主人公、英グリーンスリーヴズといった英米のレゲエ・インディペンデント・レーベルだ。当時の輸入盤店のレゲエ・コーナーには、アルバム、シングル共にジャマイカ盤の姿などほとんどなく、英米プレスのものばかりだった。そんな情報の少ない時代から、グリーンスリーヴズは、レゲエとはどんな音楽かを教えてくれる大切な存在だ。

 アイリッシュ系英国人会計士のクリス・セジウィックがレーベルの前身となるレコード店をロンドンのウェストイーリングに出店したのは1975年。セジウィックが店の実務を任せたのが英国人のクリス・クラックネル。その店は1年半ほどしてシェファーズブッシュに移転する。当初は幅広い音楽ジャンルを取り扱う店だったというが、すぐにレゲエに特化。当時のイギリスは、パンク(・ロック)の誕生に代表されるような既存の価値を打破しようとする若者文化が台頭した時期だった。レゲエとパンクの親和性は、これまでもいろんな記事で述べられてきたけれど、60年代以降、スカやスキンヘッド・レゲエを通じてジャマイカの音楽に親しんできたジャマイカ音楽のイギリスにおける存在感は決して小さくなかった。その存在感をボブ・マーリーの成功やパンクスたちのレゲエへのシンパシーが大きなものにしていったそんな時期だった。

 レコード店がなぜレーベルを始めたのか? それは、ジャマイカのレゲエ・ディストリビューターやレーベルのいい加減な仕事ぶりに理由があった。グリーンスリーヴズのレコード店では、ジャマイカから輸入したレコードがよく売れたという。店としては、ジャマイカからもっとレコードを輸入して売りたいのだけれど、ジャマイカにバック・オーダーしてもほとんど再入荷しない。そんな状況に業を煮やした2人のクリスは、ジャマイカの音源のライセンスを受けて、自分たちでリリースしようと思い立った。

 最初のリリースは、77年、レゲエ・レギュラー「ウェア・イズ・ジャー」とドクター・アリマンタード「ボーン・フォー・ア・パーパス」の2枚の7インチ。セックス・ピストルズのジョン・ライドンは、最新の自伝『ジョン・ライドン新自伝 怒りはエナジー』(シンコー・ミュージック/2016年)で「ボーン・フォー・ア・パーパス」について以下のように述べている。

 ドクター・アリマンタードの「ボーン・フォー・ア・パーパス」みたいな曲は、俺にとってはある意味、人生を変えてくれたと言っても過言じゃない。あの歌詞は天才的だと思ったし、自分なんて生きてる理由なんてないって思ってる人間にとっては、とりわけ素晴らしく響く歌だよ。
中略
 俺があの曲を耳にしたのは、いわば最悪にどん底に落ち込んでいる時だったんだが、まるで森羅万象の一番高いところから、自分自身を肯定されたような気持ちになれたんだ(前掲翻訳書217ページ)

 「ボーン・フォー・ア・パーパス」は5万枚以上売れたと言う。

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