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THA BLUE HERB ILL-BOSSTINO : 20年、一つの節目、変わらぬ一歩


Text by BIOCRACY

7月のMIX CDから2ヶ月連続でリリースしたのは、THA BLUE HERBのILL-BOSSTINOとして改めて相対して創り上げたO.N.Oのビートに、数えきれない”出愛”と”別れ”を繰り返してたどり着いた3曲『愛別 EP』。10月の日比谷野音も近い。

●20周年おめでとうございます。

BOSS(以下、B):ありがとうございます。

●キャリアをスタートさせた26歳当時、ここまでくると思ってましたか?

B:「こうなりたい」とは思ってたと思うけど、今もこうやって音楽で仕事できてて、ありがたいです。

●「一生やってやるぜ」という意気込みもあった?

B:やり始めた時はここまで来れるなんて考えてなかったですね。ただただ無我夢中でしたね。

●「20」という数字はいかがですか?

B:ぶっちゃけそれが25、30でも、たとえ50だろうが続けていく限り、生きていればくるものですから。実際札幌の、僕らが遊びに行く場所の先輩とか、普通に50歳、60歳になっても音楽を続けている方々を見ているので「20年、辿り着いたぜ」という達成感はさほど大きくないですね。
でも、46歳という年齢での今、すごくライブも曲づくりも充実しています。でも、じゃあこれが10、20年後にどうなっているかはわかりません。生きてるかどうかもわからないので、今辿り着いた「20」という節目は「大いに楽しもう」という感覚ですね。

●ソロ・アルバムがあり、10月に控えた初の野音のチケットは売り切れ、明日はブラフマンと2マンでリキッドルームで、彼らとのコラボ曲も出ました。絵に描いたような充実度に思えます。

B:結局僕らは20年間ずっと、自主制作なので。要するにラッパー、ブルーハーブとして20年ではあるんですが、自動的に自分自身のレーベルも20年なんです。だから、自分で自分の売り方というか、進んでいく方向を全部自分たちで決めてきたんです。
もちろん成り行きもありますが、当時の「東京のヒップホップの人たちと交わらない」という方向性もそうですし、ブラフマンとかと一緒に曲をやることは普通だったりとか、毎回毎回やってきたわけです。この「車輪」が止まらないように。
今確かに20年ということで、それが大きな車輪になってきてはいるけれど、ずっとその時その時で大きな仕事をやらせてもらって、常に車輪を回し続けてきた感覚です。

●途中で大きなレーベルからのオファーはあった?

B:昔はすごいありました。でも、この10年くらいはまったくないですね。いい加減僕らがどういうことをやりたいのか、わかっていただいたんだと思います。それは「話を蹴ってきた」というわけでもなく、当時すでに忙しかったので、かまってられなかった。「邪険にする」とかとも違って「ありがとうございます」、「でも僕らは僕らでやっていきます」と、丁重に話してきたつもりです。

●では、20年が経ちました。車輪も回って充実しています。「あれをやり逃した」、「あれができなかった」ということはありますか?

B:ないですね。やりたいことは、すべてやれてきているんで。

●そう言い切れることが、すごいと思います。

B:何事も自主制作で、自分たちで企画して、表現して、経理までやって、ポスターだって自分たちでつくって自分たちで配るということを20年間ずっとやってきているんです。そうなると時間も限られているし、できることも限られてくるわけです。
そういうことを踏まえてみると、昔はシスコに大きな力を借りたり、今はウルトラ・ヴァイヴの人たちに手伝ってもらいながら、やりたいことはできてるなって思いますね。

●社会における「ヒップホップ」と呼ばれているものの変容があって、それをどう見ているか。また、ご自身の中のヒップホップがどう「変わらなかった」ということを、お聞きしたいです。

B:社会におけるヒップホップについては、激動だったと思います。
まず基本的に、ヒップホップって割と「40代の音楽じゃない」と思っています。僕は40代だから40代の音楽をやってるつもりですが、いわゆる流行りのヒップホップは10代後半から20代前半くらいの音楽だと思っています。割と入りやすく、きらびやかで格好良い音楽。
僕自身もそれを、「格好良いな」と思って入っていった人間だから。それは何となく、雰囲気というか。そういう音楽なので、自分が歳をとっていくと共に、当然流行りの年代から乖離していくわけです。
そこで「流行り」や「格好良い」、「雰囲気」というのは所詮うわべの話なわけで、もっとヒップホップの本質、「ラッパーが何を言ってるか」という話を考えると、結局自分が聴いてためになるようなリリックじゃないと、意味がないんです。
僕は46です。例えば22、3のラッパーがLAで遊んでる自分たちのライフスタイルをラップしたって、はっきり言って得るものはないですよ。かといってそれがダメということでもなくて、ただ、僕がこれから歳を重ねて「どう生きていくか」、「どうサバイブしていくか」ということに関しては、得るものはないわけです。
そう考えると、聞かなくなるんです。だから、僕の視線はおのずと業界で実際にサバイブしているサバイブしてきた人たちにいくというか、今、流行りのヒップホップに対して「時間を割く」ということはないですね。それがずっと続いています。
もちろん、よほどすごいやつは別です。例えば50セントが出てきた時は、自分の人生云々よりも、「まったく違う人生を生きていきた人間に触れられる」という意味では面白いと思ったけれど、でもそれは稀です。
そして、日本にだってそういう奴はいます。自分とはまったく違うすごいやつ、、SHINGO(★西成)だってそうだし、川崎のBAD HOPとかだって、自分とは全然違う生き方の人生録を書いてるわけだから、「今の日本にもこんな世界があるんだ」ってワクワクもする。

●ご自分の中のヒップホップについては?

B:そこも僕自身、変わってきたので。例えば僕は「東京のヒップホップなんて、かまってねえよ」みたいなことを言っていたけれども、もうそんなこといちいち言わなくてよくなった。
でもだからといって、僕らは僕らのやり方でずっとやるということは変わりません。
ずっと同じ感じです。前言を撤回したことは一度も、一言もないし、そういう意味では、何も変わっていません。

●この節目で出される『愛別EP』が、あまりに当たり前に仰っていることに相応しい楽曲でした。今、音をつくる上で悩みや淀み、O.N.Oさんとぶつかることなどあるんでしょうか?

B:あれは、野音でのライブが決まっていたので、「あのステージで何を歌いたいか」ということを考えながら書いたリリックです。音もピンポイントでいいトラックで、おかげで世界が開けたというか。
O.N.Oと曲をつくるのも4年ぶりだったんで、実は多少の不安はありました。でもつくってみたらいい曲ができたんで、相変わらずいい感じです。
今回書いた曲の気持ちになれて、よかったと思います。ここまでいろんな人と揉めたり、けなしたり、けなされたりということをこの20年間続けてもきたので、それに震災以降は特に、世の中を厳しい言葉で突っついてもきたし、それに対して突っつかれたりもきた。その意味で、「自分が投げた言葉は自分に返ってくる」ということを20年間やってきたので。
それでも、ここに来て恨み節やひがみだとかを歌う心境になっていないということが、確認できてよかった。ただ「20年間、いい旅だったんだな」って。
僕なんて楽器も弾けない、ただ少し口と頭が回るだけですよ。そういう人間が、楽器を素晴らしく操る人たちと並んで”ミュージシャン然”と扱ってもらえて、こういうインタビューを受けさせてもらえてなんてことを、一つ一つ20年前の自分の状況から考えると、本当にありがたいことだと思います。
死んでいったやつもいて、「奴らが死んでオレが生きてる理由ってどこにあるんだ」って考えると、黙って言葉を失ってしまいそうにもなるけれども、辿り着いた以上は「デカい声で『ありがとう』ってちゃんと言っていこう」という心境になれて、よかったです。

●野音のスケジュールは完全な抽選で、なかなか抑えられないことで知られています。それが20周年のタイミングで当たるという。

B:数多くの仲間達に協力してもらって抽選し続けて、最後は僕の名義で当てたんです。4月から外れ続けて、自分の名前で最後は当てました。
もちろん野音が当たったことは僕にとってありがたい、神懸かり的なことだけど、人生なんてどうなるかわかりません。当たったこと自体は幸運としてありがたくいただいて、頑張るだけです。相変わらず、常に最悪の事態を予測して生きてるんで、ぶっちゃけ、そこまで辿り着けるかどうかも今はわからないですよ。

●野音に特に思い入れは?

B:お客としては今まで一回だけ、SIONのライブを観にしか行ったことがないので。ただこれがいい一日になれば、その日が特別なものになるんじゃないですかね。もちろん、普段とは違うセットをやりたいなとは思ってますが、それは後からついてくるものだから。
それにしても、いろいろな街に行くと一人一人、みんな「買ったよ」って言ってくれる人たちがいて、ありがたいです。

●EPの3曲とも、これ以上ない言葉を吐き続け、それに加えてBOSSさんは一年中、全国でライブで歌い続けているわけです。言いたいことが枯れる感覚とか、ないんでしょうか?

B:でもやっぱり、実際すごいアーティストはたくさんいるんで。
ラップだけじゃなく、すごいバンドもミュージシャンもたくさんいて、聴いてると「格好良いな」という気持ちが、だんだん「チクショウ」って悔しくなる気持ちも、幸運にもまだ自分の中にあって。
負けず嫌いなんで。「オレももっとできるはずだ」なんて燃えて曲書いたり、ライブの練習したり、それこそ走ったりとか、枯れてる暇はないっすね。
だからやっぱり、力が入ります。そういう気持ちでやれています。負けず嫌いなんで。

●ハイスタ、ブラフマン、タートル・アイランドがリリックにもよく出てくる印象です。

B:他にもたくさんいますよ。昨日もチャッカーズっていう湘南のバンドと一緒だったけど、本当に凄かった。それこそ明日はブラフマンだけど、そういう人たちはいっぱいいます。

●異種格闘技戦を好みますか?

B:別に関係ないです。僕はヒップホップの人はもちろん、ブッキングされれば誰とでもやるんで。たまたまそういう人たちとブッキングされるだけで、自ら望んで対バン相手を選んでいるわけではまったくないので。ヒップホップの人たちと2マンも求められれば全然やるんですが、なかなかそういう機会がない。

●EPのリリックには、RITTOが出てきました。

B:RITTOは素直にすごいと思います。まだいろいろな場面で「オレだってまだまだ負けねえ」って思っているけれども、自由に表現させたら彼はメチャクチャすごいですよ。
沖縄の人たちってDNAとして歌心を持っていると思うんですけど、純粋なヒップホップ、ラッパーで歌心を持ってる人間を、RITTOと会うまでは知りませんでした。彼はラップと歌心を両方兼ね備えてて、そんな奴が本気になったら、誰も勝てないんじゃないですか?あいつが本気になっている時は、僕なんかただ聴いてるだけです。

●東京も一つの地方なはずですが、全国それぞれの地域が、もともとの土地の文化を取り入れたリリックには、太刀打ちできないものでしょうか。

B:東京にだってたくさんいますよ。でも、「大きな街で生き残る」ということにほとんどの力を吸い取られて、それはそれでリアルなんだけど、沖縄の人間や僕らみたいのは、割と全国を見ながら歌えたりする。だから歌詞の広がり方が、ちょっと違うのかなと思います。もちろん、閉鎖的なこともヒップホップだからいいんだけど。

●北海道、沖縄には先住民がいて、それぞれ特に深い歴史がある土地かもしれません。ジャンル、年代に関係なく、刺激を受けながら続けている。

B:もちろんですよ。そういう刺激はメチャメチャあります。
ただアメリカのヒップホップに関してはここ10年くらい、まったく聴いてないですね。

●それこそケンドリック・ラマーあたりも?

B:正直、聴いてないですね。チャンスがあれば、歌詞カードがあるならそれを読みながら聴いてみたいなって思いますが、今は日本のラッパーとかミュージシャンを聴いてるだけでも充分満足だし、今も買ったまま聴けずにいるレコードが100枚くらいはある。時間は、限られてるんで。

●アメリカでは初めて、音楽業界全体のセールスの中で、ヒップホップとR&Bがロックを超えたらしいです。

B:それは、そうだと思います。でもやっぱりね、アメリカのヒップホップは、アメリカ人が聴かないとわからないと思いますよ。
それで、例えばブルーハーブの歌詞観を、仮に全部英訳してアメリカ人に見せて聴かせたところで、「日本はこういう感じなんだ」ってだけであって、その生活のところは、突き詰めれば突き詰めるほど離れていく。
こんなぶっ壊れた世の中なんだし、アメリカはアメリカで、日本には日本のヒップホップがあって、もう充分お客さんが選べるだけラッパーもいて、だからすごくいい時代だと思います。

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