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YELLOWMAN


Text by Shizuo “EC” Ishii, Translation by Ichiro Suganuma

 Yellowmanには80年代後半のジャマイカ、90年代初めのUSツアーのNY SOB’sのバックステージなどで数度会っていた。そして93年にはOVERHEATがSUPER BASHというレゲエ・フェスを始めた関係でThe Mighty Diamonds、Tiger、Sanchez、Thriller U、Lady Saw、Louie Cultureなどが出演するヘッドライナーとしてSagittarius Bandを従えて大阪、名古屋、東京へ一緒にツアーもした。時が過ぎた2005年にはキングストンを見下ろす彼の自宅でドキュメンタリー“Ruffn’ Tuff”の撮影にも快く応じてくれた。だから今回のインタヴューでRiddimとしては3度目(世界中で同じことを何度も聞かれたことだろう)、その長い期間の中でYellowmanに感じたことは全てに寛容な男だということ。
 93年の本誌Riddim誌をひっくり返すと「81年頃の1年間に10枚アルバムが出たってのは事実か?」という質問に「本当だ、あの頃はとにかくみんなが欲しがった。だから俺は新しいものを毎日レコーディングし続けていたらその枚数になったんだ」と答えている。とにかく超巨大ハリケーンの目だった。
 最低のところからスタートしてマイク1本でアメリカのメジャー・レコード会社CBSの契約を取りグラミー賞にノミネートされた最初のダンスホールDJでもある。だが、まもなく喉の癌の手術をうけ持ち前のDJとしての声が変化することになってしまい人気も一瞬陰りが見えたが、87年のFats Dominoのカバー曲「Blueberry Hill」でまたも大ブレイク。
 ジャマイカのハードな黒人社会にあり捨て子でアルビノ(白子)という数奇な生い立ちを、自身の努力と精神力を武器に文字通りハンディキャップをバネに成り上がったYellowmanことウインストン・フォスター。アルビノゆえにイエローと名乗るステージネームからしてタフそのもの。シングルは数えきれず、アルバムに至ってもリリースされ続け50枚以上が存在するが、もちろん本人は何枚か記憶にない。

●今回は日本で10回のショーが組まれているけど、1度アメリカに行ってまた帰って来たんだって?

Yellowman (以下、 Y) : そう、8月25日の大阪からジャパンツアーが始まって3ショウをやったあとに、アメリカに行ってショウをして、また日本に戻って来て始めたところなんだ。

●それは大変だね。時差に加えて昼のショーだけでなく深夜のショーもあったりして疲れているところ申し訳ないけど、少しの時間インタヴューさせて下さい。ところでずっと前に聞いた話しの続きだけど、マックスフィールド・パーク孤児院、セント・メアリー孤児院を経てアルファ・ボーイズ・スクールに移って来た頃のことを覚えていますか?

Y:10歳か12歳ぐらいの頃だったと思う。転入した頃のことはあまり覚えていないんだ。本当にまだ子供だったんだ。

●当時のアルファ・ボーイズ・スクールの友人で今レゲエ業界にいる人はいますか?

Y: いやいないね。アルファ・ボーイズ・スクールにいたミュージシャン(スカタライツのメンバーなど)たちは自分が転入する頃にはもういなかったんだ。

●当時好きだったアーティストを教えてください。

Y:ジャマイカンだけでなく海外のアーティストも好きだった。アメリカのグループだとTemptations、Fats Domino、Jackson 5だったり、アフリカの音楽だって聴いていたよ、Lucky Dube、King Sunny AdeとかFela Kuti、Miriam Makebaだったり、ジャマイカのアーティストだったらJohn Holt、Alton Ellis、Bob Marley、Toots & the Maytals、Mighty Diamonds、Third Worldだったりたくさんいるよ。

●アルファボーイズスクールで音楽を学んだのですか?

Y:そうでもないな。他のアーティストを聴いて自分で学んだんだ。
U-Roy、Big Youth、Dillinger、General Echo、Lone Ranger、Josey Wales、Charlie Chaplinらを毎日聴いてたんだ。

●Josey Walesも日本にもうすぐ来るんですよ。彼から影響を受けたりしていますか?

Y:彼は違うタイプのアーティストだからあまり影響は受けていない。彼はギャングスタ・ラップだからね。

●Bob Marleyの母親が親切だったとお聞きしました。

Y:彼女は私の友達のように親切にしてくれた。(昔の)Tuff Gongでだったが、とてもよくしてくれた。大人になっていく良い時もそうでない時も本当に助けてくれた。だから、自分はBob Marleyと友達だったから一緒に演ったことこそなかったけどスタジオにはいたんだ。

●プロデューサーのHenry”Junjo” Lawesとはいつ出会ったんですか?

Y:Tastee Talent Contestに出場して優勝した後にJunjo Lawesと会ったんだ。彼は自分のヒット曲の多くをプロデュースしてくれた。 「I’m getting married in the morning」「Zungguzungguzungguzeng」「Nobody Move, Nobody Get Hurt」とか、全部その頃の曲だ。

●楽曲はどうやって制作したのですか?

Y:彼が自分にリディムを用意してくれたんだ。その与えられたリディムに自分は言葉を提供した。

●Yellowmanの曲はユーモアがあるセクシャルなリリックで有名ですが、”スラックネス” について教えてください。Shabba RanksのプロデューサーだったBobby “Digital”が以前“Slackness is not slack”と僕に教えてくれましたが。

Y:スラックネスはリリックがセクシャルなタイプの音楽だ。例えばmake loveはジャマイカでは Slappinって呼ぶことがあるんだ。でも俺はSlappinとは呼ばない。そのこと全てがスラック(悪い)なわけじゃないよね。だって皆メイクラヴはするだろ。

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