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ED TEMPLETON


Interview by Yosuke ”CB” Ishii, Photo by Shizuo ”EC” Ishii

スケーターでありドローイング、ペインティング、写真を駆使して作品を発表するエド・テンプルトンの生い立ちとその創造エネルギーをチェック。

●子供の頃の話を聞かせてください。

Ed Templeton(以下、E):僕の家族はとても貧乏だった。お金がないからカリフォルニア州コロナのトレーラーパークに住んでいて、父は僕らに手を上げたりする人だった。僕がスケートボードに出会ったのは両親が離婚した時で、それは混乱の中から自分にとってポジティブな何かを見つけた瞬間だった。最低だとは言わないけど、自慢出来るような少年期を過ごしてはいなかった僕が、ハンティントンビーチに移った時そこでサーフィンとスケートの大きなカルチャーに出会って僕はスケートを始めたんだ。サーフィンよりスケートの方が安かったからね。まず最初はみんなのお古を貰って全部を組み立てたんだ。だから少年期があまり良くなかったからスケートに出会えたっていうのは、僕にとっては良い事でもあったのかな。当時を振り返っても悲しんだりはしないし、それがあったから今の僕があると思うとハッピーだよね。

●兄弟はいますか?

E:1人いるよ。彼は18歳の時にガールフレンドを追いかけてウィスコンシンへ行ってしまった。それからずっと向こうに住んでいて、たまには連絡を取るよ。

●スケートを始めたのは何歳ですか?

E: 1985年だから13歳の時かな。周りの友達に比べれば遅い方だったね。また同じことになるけど、忍者に憧れていたどこにでもいる子供がスケートを始めたとたんに人生を劇的に変えてしまった。小さい時は本当に忍者になりたいと思っていたからね(笑)。スケートを見つけてからは学校にうまく溶け込めなくなってしまった。というのも85年だから当時スケートをしていた奴らっていうのはだいたい社会のはみ出し者みたいな感じがあって、僕はみんながやっていたベースボールなどのチームスポーツに入る余裕が無くなっていた。僕がスケートを手に入れた瞬間から、怖くて近寄りがたかったはずのモヒカンのパンクキッズなんかが「こっちで遊ぼうぜ!スケートするんだろ、お前は仲間だ」って声をかけてくれるようになって“ワオ!この小さな乗り物がヤバいなと思っていた奴らの仲間入りをさせてくれた!”ってね。パンクロックなどの音楽を彼らから教えてもらってスケートが新しい人間関係や音楽など色々な扉を開いてくれたんだ。何も無かったのに沢山のコミュニティと繋がったよ。

●ジェイソン・リー(元プロスケーターで現在はハリウッド俳優)とスケートをしていたと伺いましたが?

E:そうだね、ジェイソンも僕と似た様な子供時代を過ごしたと聞いてるよ。当時ハンティントン・ビーチには2つ高校があって、彼は僕と違うもう一つの学校だったけど、お互い上手くなっていたから意識し出して一緒に滑る様になってたね。なんて言うか、ジェイソンの方が僕よりも先をいってて学校をサボリまくってスケートをしてたんだよね。僕はもうちょっとマシだったよ。だからジェイソンはプロスケーターとスケートするチャンスがあったんだ。ある日ジェイソンがマーク・ゴンザレスとスケートしたと聞いてとても羨ましかったのを覚えているよ。僕が学校でボーッとしている間にジェイソンは高校を抜け出して世界のマーク・ゴンザレスとスケートしてたんだよ! そのころから僕も学校はサボるべきだなと思ってあまり行かなくなったよ(笑)。その彼が今や有名なハリウッド俳優だぜ。

●今でも連絡を取り合ったりしますか?

E:うん、するよ。ジェイソンは今フォトグラフィーにハマッているから写真について話したりするね。以前はスケートボードの世界で、今はアートの世界で同じ世界にいるよ。

●ドローイングはどんなきっかけでのめり込んだのでしょうか?

E:本当に小さい時からドローイングをしていた。いつも言うんだけど子供の頃はみんなが絵を描くんだ。それなのに大人になるにつれて絵を描かなくなる。理由は分からないけど僕はそれを続けてきたことは幸運だよね。上手ではなかったけどスケートを始める前から描いていたし。

●今ではRiddimはオンラインでも情報を発信していますが、Riddimは紙の雑誌も作り続けています。あなたも今までに沢山のジンや写真集を出してきていると思いますがそのモチベーションはどこからきていますか?

E:きっとRiddimに携わっている人と同じ気持ちで、形として残る紙媒体をとてもリスペクトしている。”手に取ってみる”ということが特にフォトグラフィーでは重要だしね。紙媒体で連続して写真を見ることはフォトショウなどで見るよりもひょっとしたら良い時があるかもしれない。単純に紙媒体として僕の名前が入ったものが本棚に並んでいる方がオンライン上よりも形としては良いかなと思う。僕は雑誌も読むし、Thrasherなんかもオンラインより雑誌で読む方が好きだね。

●それでは初めてジンを作ったきっかけは何だったのですか?

E:多分同じ願望からだと思うよ。自分で出版するには印刷費が必要だから、普通なら出版をOKしてくれる出版社を探さなきゃね。でもスケートカルチャーというのは大きなDIYカルチャーなんだ。僕が考え出したわけではないけれど昔から多くの友達がジン・カルチャーに携わっていたし、誰も僕らにジンをくれなかったから自分達で作り始めたのかな。僕がパンクミュージックに興味を持ち始めて、Maximum Rocknroll Magazineのインタビューを読んだ時に、誰もが手紙を送ったりしていることを知ったんだ。インターネットや携帯以前の話だよ。

だから誰かに接触しようと思ったら住所を探し当ててジンと一緒に手紙を送るんだ。ブックを作ったら向こうは僕を知らなくても僕が好きな人にブックを送ってるよ。そうする事で沢山の可能性が広がるんだよ。何かを作って誰かに送るというスタイルは外の世界に対して知ってもらうことにもなる。例えば僕の好きなフォトグラファーのジム・ゴールドバーグに住所を調べて送ったら「本が届いたよ」って電話をかけてきてくれたんだ。そして彼は「サンフランシスコで講義をしているから僕のクラスでスピーチしてよ」って言ってきて、そこから友達になったんだ。もちろん送っても見てくれないかもしれないし、返事をくれないかもしれない。だけど彼は電話をしてきて今は友達なんだ。
だから若い子達にはいつもジンを作れって言ってるんだ。売らなくて良いんだ、とりあえず友達からでも配っていくことが良いアイデアだと思うよ。それをきっかけにして自分が好きなジャンルの世界に足を踏み入れることが出来るんだ。

ある人達は高価そうな大きな本になるまで自分の作品をとても大切にキープし過ぎたりするけど、誰もが高額の作品集を欲しいわけじゃないかもしれない。だからジンはパーフェクトなんじゃないかな。今回渋谷のPilgrimで展示してもらっている写真もインスタグラムでしか存在していない写真なんだ。いつもはデジタルの写真は披露しないんだけど彼らの説得で“日常のある一瞬”を撮ったものが並んでいる。壁に展示されたのを見たら面白いと思ったけどね。

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