• OVERHEAT MUSIC

Josey Wales


Interview & Photo by Shizuo”EC”Ishii Translation by Ichiro Suganuma

80年代のジャマイカを代表するギャングスタ・ディージェイとして知られるJosey Wales。アーティスト名はクリント・イーストウッド主演の「アウトロー・ジョジー・ウエルズ」から取ったもので、曲もキングストン・ゲットーのハードコアなものが多い。しかも自身が3度も銃撃され弾をくらいながらも奇跡的に生きている名実ともにタフな男。言ってみれば第二世代のレジェンド・ディージェイが彼。初来日は1994年のoverheat主催のSUPER BASHである。その時はアメリカのVISAが取れずカナダ経由で来日させた。

●久しぶりだね!俺がJoseyの初来日をやってからもう24年が過ぎたね?

Josey Wales(以下、J):ああ、久しぶり。(Riddim#344 King Tubbyの表紙を見ながら)この時代はいい時代だった。アルカイダやISISのようなテロリストになりたい奴なんていなかった。時代は変わっていく。そして音楽も変わった。全て変わってしまった。お互いのリスペクトを失いつつあると思う。今はHustlinだらけだ。誰のこともお構いなしなんだ。

●今日は色々聞くけど、答えたくないことは答えなくていいよ。

J:発言したことが全てだから何でも聞いてくれ。マイクを持つようになると何を言うか注意深くならないといけない。自分はどこまで発言していいか分かっているから問題ないよ。

●久しぶりの日本ツアーはどうだった?

J:いい感じだった。ダンスホール・スタイルのラバダブ。ナイスだよ。広島、神戸、沖縄など全国9カ所を回った。昨夜の東京で最後だった。稼げたってわけじゃないけどいい時間を過ごせたよ。自分にとってはそれこそがとても重要なんだ。

●子供時代について話してくれる?

J:俺の生まれは良くないから言える経歴なんて何もないよ。セント・メアリー教区で生まれたストリートにいるただのルードボーイだった。あの頃はヒゲを生やしたかった。当時のギャングのリーダーだったClaude Massopみたいに有名になりたかった。ずっと貧乏でいる気はさらさらなかったからな。一つの靴だけでは足りないからもっと欲しかった。貧乏のせいで子供が泥棒したり、人々が望まないようなことをするだろ。あれは愛を欲しがってるんだ。物も欲しかった。といっても過剰に欲しかったわけじゃない。ただ必要最小限にだ。靴が一足だけじゃ十分じゃないだろ? 今あるのは感謝を忘れず道を外さなかっただけだ。

U-Royが俺のアイドルだった。King Tubbyもよく聴いてた。今ではU-Royと話す機会がないけれどね。彼はディージェイのゴッドファーザーだ。偉大だ。俺が言うまでもないさ。もちろん我々に違いはあるけれど、子供の頃は彼に憧れて育ったんだ。全てのディージェイがU-Royと同じように聞こえる。皆全てだ。最近出てきたやつもそうだ。文法に違いはあるかもしれないが、あの音の響きはU-Royが生み出したんだ。例えばすべてのシンガーはDennis Brownのように歌いたいと思うようにだ。King Stitt, I-Roy, Roy Shirleyらも憧れだったが、U-Royは全てのディージェイが憧れる存在だった。

●どうしてU-Royと話さなくなったの?

J:俺には全く分らないな。あの時代のラスタにはラスタの身だしなみというものがあって、若くて貧しかった自分でもクラークスの靴や身につけていたアイリッシュのシャツやカフリンクスに誇りがあった。今の世代だとBeyonceみたいになりたいって思うようなことだな。あの時代はU-Royがそういう存在だった。Big Youthや赤、緑、金(ラスタカラー)や、ドレッドロックス、ベルト、フェルト生地だったり、ダイヤモンドソックスにクラークスだったりね。

●音楽はどうやって始めた?

J:先人たちを聴いて始めたのさ。悪さをするより音楽が好きだった。自分は話しをするのが上手くて人々を笑顔にできるって分かった。自分のイメージはラフかもしれないが本当は愛情溢れた人間なんだよ。内面は人々に対する深い愛がある。

ディージェイを始めたきっかけは、Big YouthやU-Roy、I-Royらのおかげだ。俺たちは彼らのイミテーターだ。自分自身のスタイルを見つけるまではね。自分の後に出てきたほとんどのディージェイは自分を模倣した。ディージェイでスタイルを生み出す必要がなかったのはU-Roy, Big Youth, I-Roy, Roy ShirleyとKing Stittだ。彼らがスタイルを作ったんだ。ラップ・ミュージックもそうだ。Kurtis Blowがジャマイカンのディージェイの真似をしたりして始まったんだ。Afrika Bambaataaもね。分かるだろ?

●U-Royのサウンドシステム、King Stur Gav HiFiで歌うようになったのは?

J:自分はRoots Unlimitedというサウンドをやっていたんだ。 Waltham Park Roadが地元で、自分とBurro Bantonがそのサウンドのディージェイだった。自分はカルチャー的なディージェイではないからルードボーイやギャルが遊びに来ていた。俺がクレイジーなことをディージェイするからだ(笑)。

ある時WaterhouseでRoots Unlimitedをやってる時に、U-Royが俺のディージェイを聴いていたんだ。それで彼の友人からU-Royが会いたがっていると言ってくれて、Stereographのダンスに行ったら、Charlie Chaplin(ジャマイカのディージェイ)やU-Royがいて俺は2曲ほどディージェイした。彼らは気に入ってくれた。でもそこが問題だったんだと思う。今でもそう思う。意外に俺は謙虚で慈愛深い。例えば君の家を訪れて椅子を出されても、自分は断って自分は床に座るタイプだ。俺には階級がないしエチケットも知らない。ジャマイカ人は大体その人がどういう人と一緒にいるとか着ている服で人を判断する。俺はU-Royのことを尊敬していたから、自分のバッドな部分や自分の音楽をトーンダウンしたんだ。元々のRoots Unlimitedでの俺は荒々しいことをディージェイしたり、今の奴らと同じような、例えばDexta Dapsのような新しいアーティストのような感じだった。でも、U-Royを尊敬していたし当時ラスタマンは影響力があった。年配の人でもあるU-RoyやCharlieのスタイルに寄せたんだ。それがKing Star Gavの頃の話だ。彼らはどっちかというとラスタで、自分はルードボーイとかバッドギャルとかそういう感じだったのに、俺は彼らに合わせたんだ。それが自分とU-Royの運命だった。俺はその頃のことを後悔してはいない。もう戻ることはないけどね。

●あなたのヒット曲「Kingston Hot」で “ヤツらが来て俺の子供やお婆さんが殺される”と歌っているのは本当の話?

J:“Them kill me pickney an’ me ol granny“の歌詞は自分の家族のことではないが実話に基づいた話だ。ほとんどの曲はリアリティが基になっている。リアリティをツイストしてユーモアを入れるんだ。そのリアリティは直接個人的ではないかもしれないけれど、身近な周りで起こっている実話なんだ。

あれは“Kingston Hot”っていうぐらい本当に熱かった(ヤバかった)んだ。Olympic Wayのダウンタウンは人でごった返していた。毎日人が殺され、拳銃での争いも政治的な争いも日常茶飯事。ピンプやリベラル、色々なやつらがいた、そういうことを歌っているんだ。だから実際に俺の子供や婆ちゃんが殺されたわけじゃないけど、近所の子供が殺されたり、友人の子供だったり、婆ちゃんだったり、父親が殺されたり、家が燃やされたり、ピンプもリベラルも家を失った。多くの皆が(政治の)システムの犠牲(800人近くが死亡)になっている時代だったから、そういったことをハイライトにしてコメントをのせたんだ。過去現在未来の子供達に70年代から80年代に移っていくあの時代に何が起こっていたかを伝えるためだ。それがリアリティーだった。

決して俺は自慢や誇張をしているわけじゃない。若くてバカだった。警察なんて殺っちまえくらいに思ってたよ。自分はすごくラフだったからね。でも実際はやらなかった。俺は車に乗ったらシートベルトをする。例えば今アメリカに行って誰かが喫煙していたらその場から遠ざかる。年齢を重ねると責任感も出て人生における事実の知識も深まりトラブルを避けるようになる。過ちとわかっていて罪を犯すようなことは防ぐんだ。やっちまって運が悪かったみたいなそんなことは許されない。だが誰も完璧なわけじゃないが。

自分は今日本にいて9つのショウがあって時を過ごしている。大コンサートではなくクラブでの身近なショウだった。さらに10月8日が自分の誕生日だったからその9つのショウをずっと祝うことができた。自分で自分のドリンク代を払って一ヶ月ぐらい誕生日を祝うジャマイカンみたいにね。最高だろ。人生で最高なのは幸せだってことだ。時にこうやって遠いところに出向いてショウをする。そして人々に会うことができる。昨夜は知り合いのRankin Taxiに会って、一緒にギグをした。素晴らしい時間だった。ある子供とその家族も来ていて、自分の歌をラバダブするぐらい歌詞を覚えていたんだ。最高の時間だった。ビューティフルだった。自分はこのビジネスからそんな大金を得たわけじゃないが、この人生を生きていくためには十分だ。

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