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THA BLUE HERB ILL-BOSSTINO

Text by BIOCRACY Photo by HayachiN

ブルーハーブ結成20年周年記念ライブ当日の日比谷野音は嵐が直撃。その夜「雪、暑さ、雨にも負けず!」とシャウトしたILL-BOSSTINOが語る20年、野音、これから。

●ブルーハーブは節目節目を、常に作品としてかたちに残してきています。

BOSS(以下、B):野音に関してはもちろん、事前から出すつもりでいました。

●野音でのライブ前にかかっていた『”KOTODAMA” TAKES US THERE』が、お客さん全員に入場の際に配られ、その気遣いや仕込み方がとてもブルーハーブらしいと思いました。

B:今回は特別な機会だから、お客さんに「どう楽しんでもらえるか」ということを、凄く考えましたよね。
 僕らが「野音でやる」ということ自体、そこまでのプロセス、自分で抽選を当てたりだとか、そういうことも一つ一つアナウンスして情報公開していくことでその夜の「特別感」を高めてもらおうと、それは僕自身がそうでしたし、お客さんとも共有したいと思ってました。今回はそういう壮大なストーリーを、去年の1月1日からずっとつくっていった感じですね。

●「野音」という場所を意識した?

B:野音に対する思い入れは、行ったこともSIONのライブの一回しかないし、自分にとっては野音や武道館は「大きいところ」というくらいのイメージしかありませんでした。だからそこがブルーハーブにとって「特別なもの」になったのはやりきった後からですね。正直、やる前は野音というよりも「20周年」ということの方が大きかったです。

●「さんピンCAMP」の会場でもあります。

B:そこは気にしてなかったですね。当時行ってたわけでもないし、今となってはそこに対抗心とかもないし、最初は「あれも野音だったんだ」という感じでした。言われてみればというか、僕はさんピンの映像もほとんど観たことがないので。

●「観ていないこと」も、そこに何かしら想いがあるからでしょうか。

B:そうですね。
 ただ、僕が観ていようが観ていなかろうが、目の前にいるお客さんもそうだし、このDVDを観る人もそうだけど、さんピンを知る人、日比谷野音という場所の共通性を語る人、比較する人もいるだろうとは思います。今回は、僕自身がそういう歴史に寄っていった感じですね。

●2018年のヒップホップの世界での出来事は、1996年のさんピンのプロデューサー、ECDさんの逝去がありました。繋がりはあったんでしょうか?

B:もちろん音源とかは知ってはいますが、個人的な繋がりはないですね。

●会ったこともない?

B:会ったことは、あれは1995年とか、当時『DO DA BOOGIE BACK』がヒットしていて、その時僕が自分の出身の函館にライブに行った時、メインがECDでした。ただ、それだけです。会話もないし、僕らはまだブルーハーブ以前、BOSS THE MC&DJ O.N.Oでした。
 僕も超生意気だったし「へえ、ECDってこの人か」くらいな感じで、そこで僕らもECDもライブをやって、その後の歓談も何もなく、一瞬すれ違っただけでした。

●ECDさんには『MASS対CORE』という曲があります。現代ではアメリカのチャートはヒップホップが席巻し、総売上げでもロックを歴史上初めて抜いた状況があって、今まで言われていたMASSとCOREとが、溶け合ってきています。

B:でもそこは、国が全然違うでしょう。アメリカに比べて日本がどうのとか言ってても始まらないし、進んでいかない。
 だって必ずしも、アメリカみたいな、ある意味制限のない自由と引き換えにぶっ壊れた社会でいいことばかりじゃないわけです。そんなチャートと比較したところでしょうがないと思っています。

●BOSSさんがNAS『ILLMATIC』から受けた衝撃とは、あまりに別物であると。

B:あれは確かにすごいし、すご過ぎるくらいだと思います。
 でも、NASの『ILLMATIC』のリリックがどれだけすごいかというのはそれだけをテーマにした機会を設けていただければいくらでも語るから、今日じゃなくて今度それでページを作ってもらいたい位です。

●野音でのライブは、仰るように前々から考え抜いて、準備して、その上で想像を超えていた要素は、当日の天候かと思います。

B:それしかないと思います。
 あの日ははっきり言って、朝起きてカーテン開けた時も、気分は落ちてました。とても祝祭というムードにはならなかったし、憂鬱でした。
 僕自身はいくら雨が降ってもやるけど、相手は台風で、電気使ってあれだけデカい音鳴らして、それでもし何か大きな事故になったりしたらということを考えて。

●「おいしい」と言うのも変ですが、「この雨を利用してやろう」と思えた瞬間はあったんでしょうか?

B:「おいしい」と思えたんだとしたら、もうライブが終わるくらいの頃ですかね。とてもそこまでは思えなかったです。雨はほぼ3時間降り続けたし、仮に晴れていたとしても、やりきるには過酷なセットだったから。あのセットプラスあの天候で、客観的にはあの日のことが映像になって、最終的にどういう風に見えるかだとかを考えると、はっきり言っておいしいかもしれません。ただ、当日は本当に必死でした。
 この20年間やってきたライブで、あんなに苦しいことはありませんでした。

●それは体力的に?

B:何もかもですね。でも、たぶん精神力の方が辛かった。だって3000人を、あの雨の中でアゲていかないといけませんから。

●1996年のさんピンCAMPも雨で語り草になっていますが、雨量としては比較にならない多さでした。

B:これが特殊効果だったらいくらかかるんだっていう(笑)。すごかったよね、信じられなかった。

●しかもライブがスタートする一瞬だけは、雨が止んでいたんです。たぶん会場は「ブルーハーブ、台風を止めた!」と一瞬盛り上がって。

B:そんなことはまったくなかった(笑)。

●5分後には滝のような雨でしたが、帰る人はいませんでした。

B:いなかった。でも本当に、「誰も遭難しなくてよかった」と思うくらいの過酷な条件でした。普通の公演だったら中止しても誰も文句言わないだろう、というか。

●中止の話は出たんですか?

B:一度もなかった。でも、舞台監督の人も含め、風でテントが飛ばされて、PAと照明の機材が危険に晒されるような状況になったら止めるというのは聞いていたので、いつ天候に止められるのか、ドキドキしながらやっていたというのはあります。

●風がなかったのが不幸中の幸いだった。

B:僕も人生であれだけの雨を浴びることはなかったし、たぶんあそこにいる3000人もそうだったんじゃないのかなと思います。

●あの日、やりきれなかった部分ってあるんでしょうか?

B:映像を観ていると、小さなミスは結構してて、やっぱり必死で、音楽だけに集中はできていないんだよね。あれが晴れていたらライブの質的にはもっと高かったと思うんだけど、でも結果的にいいライブ、オレ自身が満足できるものではあったと思う。
 とはいえあの雨だから、やっぱりそんなことよりも、あの時は一小節一小節クリアしていくことの方が大変で、かといって晴れて完璧なライブするよりは、雨で多少崩れながらも最後までやりきったという方が、映像として残すには価値があるよね。
 それは次にも繋がるし、純粋に映像作品として、よりシリアスに仕上がったと思います。

●簡単に「次は」と言っても、あれを乗り越えたら、矛先はどこへ向かうのか、、。

B:あれをやっちゃって、ずいぶん吹っ切れました。
 実は去年の7月に京都大作戦という、10-FEETが主催しているフェスに遊びに行ったんです。それもめっちゃ過酷で、夏の京都なのでゲリラ豪雨と雷がすごくて。
 それでとても大勢のお客が、巨大なグラウンドから「一旦中断」ということで外に出ざるを得なくて、入り口のあたりでジーッと待っているんです。それでステージも会場も無人、演者は後ろにいて。しかも、雨雲の動きが遅くて、お客はそれをみんなで黙って見て待っているわけです。
 そして、状況が落ち着いたら、お客にもう一度グラウンドに戻ってもらって、限られた時間をメインの10-FEETを含め残ったバンド全員が持ち時間を削って、お客さんになんとか楽しんでもらうために必死に頑張るわけですよ。
 僕はそれを袖で、すごい奇跡的な光景を見させてもらったわけだけど、もしそれを見ていなかったら、野音のライブに対しての挑み方も変わっていたかもしれない。
 ライブはどれくらいで中止か、継続かということがその時に少なからず学べたというか、野音では雷は無かったから、その点では幸運だったのかもしれない。そして、ライブはどれだけ苦しくても、自分自身が楽しみながら最後までやりきるというような、その心構えも京都大作戦から学べたんだと思います。

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