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Yoshiko & Bruce Osborn


Interview & Photo by Shizuo “EC” Ishii

 映画「OYAKO」が完成して、あちこちで上映されている。この映画の張本人ブルース・オズボーンと佳子さん。本当に仲の良いカメラマンとプロデューサーであり夫婦。来日した時からず~っと知っているけど、喧嘩することはあるのか?実は俺の最大の疑問。まず、そこから。

Bruce Osborn(以下、B):喧嘩はしないよ。

●ハッハッハ。そうだよね、仲が良いんだよね~。日本に来た時って何歳だったの?

B:80年だからちょうど30歳。

●30歳か~、もっと若かったような気がしてたけど。

佳子(以下、Y):最初来た時は78年かな。日本に住む前だったけど。最初の展覧会をした時は30歳になってなかったかな。

B:最初の頃、石井さんにはいろんな人をいっぱい紹介してもらったね、ペーター佐藤も紹介してくれたし。ハリウッドランチマーケットのゲンさんにも、その時代のキーパーソンを。

Y:会った人達が、また人を紹介してくれたのはありがたかった。日本って仕事する場合、学校が一緒とか、何か共通するベースがあってネットワークがあるから、外から来た人にとってはなかなか難しいかなって思いながら頑張って来たんだけど、30年以上経ってその頃に出会った人達との間にベースが出来てる。やっと日本が自分達のホームベースになったって感じはするよね。

●ブルースは日本に住むっていうことに迷いはなかったの。

B:佳子と結婚した時、佳子の仕事が日本にあったから年に2回くらい日本に来る事があった。来る度に、石井さんみたいな人達と知り合いになって、段々知ってる人ができたので少し安心だった。その頃の日本、特に東京は、楽しそうな仕事で溢れていたよね。だから、可能性がたくさんあると思ったし、凄く楽しそうだったよ。その頃のLAは音楽産業が盛んだったから、仕事と言えば音楽関連のもの。でも東京はファッションもあったし、広告も雑誌もクリエーティブな表現を追求していた。自分のスタイルで色々とチャレンジが出来そうな感じがした。最初に展覧会をした時の作品がソニーの広告に採用されたり、プレイヤー・マガジンも、展覧会の作品を使ってシリーズでやってくれたり。その頃SMSレコードの社員だった頃の安齋肇さんに会ったり。

Y:なんか段々お友達が増えていって、いつの間にか30年以上。こんな風に定住するとは思ってなかった。

B:言葉は問題あったけど、何度も来ているうちに、いい意味で変なやつと知り合って、日本の新しい発見をする。音楽は似てるけどちょっと違う、ファッションも似てるけど違う。ベースは一緒だけど自分にとっては新しいフィーリング。浅草のボードビリアンや昔の下町の芸能人も、僕にとっては新しくって興味があった。日本のエンターテイメントのルーツみたいな人にもいっぱい会えたしね。カメラマンの目から見たら面白いものだらけだったよ。

Y:最初に浅草に住んだのも凄くラッキーだった気もする。

●なるほどね。あの千束(台東区)のお酉様の近くに住んでて、よく集まったよね。浅草に住んだっていうのが日本にひとつハマったっていう事だね。

Y:その頃、雑誌で「日本のSOHOが浅草に」とかいう特集もよく組まれてたし。

B:最初は知ってる人も少なかったけど、雑誌に紹介されたら、インタヴューしたいとか仕事頼みたいとか、いっぱい連絡をもらって、日本の情報ネットワークは凄いと思った。

Y:その頃は外国人のカメラマンってあんまりいなかったんだと思う。だからみんなが興味をもってくれたのもラッキーだった。

●でも、まずは作品の力だよ。作品のインパクトがあったよね。だからそれで注目されたんだと思う。その頃は、たしか日本とアメリカの両方で仕事をしたいって言ってたよね。

Y:結婚する時に、私がアメリカに行って英語を喋ってアメリカの文化に触れたように、ブルースにもいつか日本に住んで日本の私の文化を知って欲しいっていうのは約束してたの。たまたま小西六ギャラリー(日本橋)の展覧会があった時に色んな人が来てくれて色んな人とお友達になって、写真展が終わってアメリカに帰る途中の飛行機の中でブルースに、「いつか日本に住んでってお願いしたけど、それって今なんじゃない」って。それで帰ってからすぐに仕事の整理をして3ヶ月くらいして日本に戻ってきたの。でもこんなに30年って考えてたんじゃなくて、少しの間、日本の生活をして欲しいと思っていたので、スーツケースはブルース1つ、私も1つで来たんだけど。住むうちに実佳が生まれ由良が生まれ、スーツケース2つじゃ納まらない程いろいろなものが増えてきて、段々こっちに長く住む様になってきた。今では、ブルースはアメリカに住んでいた時間よりも日本に住んだ時間の方が長くなったの。

B:なりました。

●日本語学校に通ってたこともあったよね。でも俺の知ってる外人さんの中で一番下手(笑)。普通3年で喋れるからね、そこそこ。あはは。

Y:天才なんですよ、ブルースは。目が発達した分だけ耳の方の発達は遅かったんです。

B:本当は反省しているよ、もっと日本語勉強した方が良かったと思う。

●そうかなぁ、あはは。

Y:生まれ変わったら日本人に生まれてもっと日本語上手く喋りたいっていうから。

B:日本語を読めれば大分生活が楽になるって思うこともありますよ。

Y:日本に来てすぐ忙しくなっちゃったっていうのもあって、勉強をしっかり出来なかったことも事実。それは良い事でもあるんだけど。

●はっきり言えば仕事が出来たんだよね。ちょっとした英語でもイエスとかノーは日本人もみんな分るし、仕事には支障は無かったんだ。多分ブルースは、他の事を考えちゃう人だと思うよ。俺なんか本を読んでて途中で違う事を考え始めたり、自分の意見が出ちゃって、最後までいかなくてつまらなくなっちゃうっていう事がほぼ全て。本を1冊読むのに15年くらいかかったのもある。ブルースって常に何か考えてない?

Y:いつも絵を描いてる。

●そうだ、浅草の時からそうなんだよ、変な顔をず~っと一筆書きで描いてた。

Y:まだ描いてる。

B:学校行きながらもずっと写真のアイディアを考えてたりして、しっかり勉強しなかった。

Y:そういう生徒いるもんね。違う事を考えている生徒、落書きとかいたずら書きしている。

●ブルース・ワールドが強くあるんだね。それはクリエィターに一番必要なことだ。

Y:ブルースが日本語がペラペラに喋れたらああいう写真は撮らないかもしれないし、言葉でコミュニケーション出来ない分、形を作っていくっていう思考回路になったんだと思う。

B:そのポジティブな考え方に助けられてる。

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