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Yoshiko & Bruce Osborn

●では、色んなとこで話してるとは思うけど、写真で「親子」を撮るきっかけっていうのは?

B:S-KENが企画した雑誌「Pin Head」(83年刊)のテーマがパンクで、アナーキーの仲野茂を撮ることになったんだ。どんなふうに撮ろうかな~って色々考えて、最終的に「親の顔が見てみたい」って思ったのがきっかけ。

Y:親子のジェネレーション・ギャップが面白いかもと思って撮ったんだけど、撮ってみたら違いよりもギャップよりも逆になんだか似てるところの方が写っていて、そこが面白かった。

B:ちょうど長女が生まれる前で、自分がお父さんになる時期だったことも影響してたと思うね。

Y:その頃、24人のメンバーで運営するNEWZっていうギャラリーが六本木にあって、ブルースもそのメンバーの1人だったの。1年に1回、1人が2週間ずつ展覧会をするんだけど、その時にブルースは「親子」の展覧会をしたんです。ペーター佐藤や坂本龍一さんとか日比野克彦さんなんかも一緒だったよね。

B:その頃は、「親子」写真を撮って日本の文化を表現したいと考えていたから、刺青の彫り師とか、お坊さん、消防士、警察官、寿司屋、芸者とか、ユニホーム着た人たちを最初40人くらい撮って展示したのかな。そのあとで、渋谷の駅近くにあった西武のSEED館でも写真展をしたんだけど、今度はNHKのニュースをはじめ、テレビ局がみんな取材に来てくれてビックリ!

Y:写真集も出版したので、新聞や雑誌も取材に来てくれたよね。

● その頃って、他にはどういう仕事をしていたんだっけ?

B:原宿ラフォーレとか池袋のサンシャイン・シティの広告写真を撮ったり、米米クラブとかオリジナル・ラブとかThe BOOMとか、色々なミュージシャンの写真を撮ったりしたりしてた。

Y:親子写真も、「NTTトークの日」みたいなコマーシャルのコンテンツになって新聞広告のシリーズになったりしました。

B:他の会場からも「親子」の写真展をやりたいと言われて、ほとんど毎年のように写真展をする機会があって、その度に新しい「親子」の写真が必要で撮ってたし、雑誌の仕事でも「親子」写真を撮る機会があって、いつの間にか「親子」写真がライフワークになってきたんだ。

●映画の中で「5000組撮った」って言ってたけど、32年間って事は1年にすると、、、150組?

Y:でもここ10年よね、もの凄くたくさん撮り始めたのは。年々撮影する親子の数が加速してる。

B:最初はどっちかっていうと展覧会の為。例えば大阪で展覧会があると大阪の人を撮ったり、金沢で展覧会があるといっては金沢の親子の写真を撮ったりしてきたんだ。

● 俺が最初にブルースの展覧会を見たのはコラボレーションの作品だったよね。

Y:そう言えば、日本で最初の展覧会は、The Screamersというパンクバンドのボーカルだったトマタ(Tomata du Plenty)を撮って、そのプリントにその頃活躍していたLAのアーティストやディレクターとコラボレーションしたものだった。ゲーリー・パンターやルー・ビーチとか・ミック・ハガティ・・

B:コラボレーションは好きなんだ。他にも友達の人形アーティストがつくった人形を撮った作品とか、パンクブームのファッション写真とかも展示したんだ。

Y:覚えてる?人物サイズの人形のオブジェを色んなとこに置いて撮ったやつ。コラボレーションという意味では、その時もアーティストとのコラボレーションだったし、映画も言ってみればコラボレーションの芸術だね。

●カメラマンってそんなにはコラボレーションしないで、自分の作品で完結するっていうか、基本的には触れられるのが嫌な人が多い気がするけど。

B:僕は写真撮影そのものが、コラボレーションなんだと思ってる。被写体と一緒にコラボレーションするっていうか、写真を撮るのはキャッチボールするようなもの。相手とフィーリングのやり取りをしながら、段々とリズムが一緒になってくるんだ。そう、ジャム・セッションみたい。最初は僕がアイディアを投げるケースが多い。じゃあこれをしようかって「カカカカカン」って、相手は「ドゥードゥドゥドゥ」って。そのうち段々シンクロしてくる。

●ブルースのやり方なんだね。今度の映画もコラボだったけど、実は勝手な先入観でブルースが、「親子」というテーマの写真から派生した動画を撮ってるんだと思っていたんだ。でも映画「OYAKO」を観たらブルースを撮影したドキュメンタリー的なのが出来ていた。だから別に監督がいて、でもその中にまた違うショート・ストーリーみたいのがあってね。

B:分かりにくかった?

●こういうのもありなんだなと思った。本当の監督って誰なんだろうとは思ったけどね。

B:今回の映画は、自分のしてきたことが中心だから、自分で監督をしたらナルシストみたいな感じになるような気がしたんだ。だから自分は監督の立場じゃないほうがいいように思ったんだ。

●俺は3人の監督がいるんだなと思ったけどね。

B:コラボレーションかな。

Y:そういう考え方がまた面白いね。監督同士のコラボみたいな。ブルースが何で監督をしなかったのって言われる時もあるけど、でもブルースの話だからブルースが監督っていうのは立ち位置として微妙じゃない。それで、やっぱり監督って要るのかなと思って。

●なるほど。プロデューサーは、そう考えた。

Y:私は総合プロデューサーだったけど、とにかくはじめての経験なので周りから支えてもらいながらやっと出来た感じ 。

B:映画を作るアイディアは最初、佳子が考えたんだ。

Y:2年前くらいかな。親子の日がちょうど10周年を迎えたから何か記念になる事をしようっていう事で、最初は展覧会を考えていて、自分たちがやりたいイメージの展覧会をする為の予算を組んだりしていたら、それがめちゃくちゃ高くなることがわかって。そんな高額のお金を使っても1週間とか2週間で取り壊す展覧会は勿体ないと思ったの。それで、何か形に残るものにした方が良いんじゃないかと思って。実は、映画を作ろうっていう夢を見たの。

B:朝起きて「ブルース、夢で見たんだけど映画を作るっていうのはどう?」って。寝てる時でも、気になってることはいつも考えてるよね。制作予算もクラウド・ファンディングで不特定多数の人たちからも資金を提供をしてもらったんだ。

●俺もジャマイカの映画作ったけど、大変だよね。ブルースはあと2つ~3つくらないと。

B:まず1回作ったから満足。

●監督の猪股敏郎さんは、今までにも一緒に仕事をしている人?

B:色々やっているよ、カンヌでテレビのコマーシャルのフェスがあるけど、そこで銅賞を取った作品もある人。

Y:いくつか一緒にコマーシャルの仕事をやったことがある人。12年前、7月の第4日曜日を「親子の日」にしよう!!って、ブルースと私でみんなに呼びかけて「親子の日」をスタートしたんです。「親子の日」当日は、100組の親子をスタジオに招待して1日中かけて撮影して、プリントをプレゼントするという日。猪股さんも、第1回目の「親子の日」にスタジオに娘さんと一緒に来てくれたんです。今年で12回目の「親子の日」なんだけど、猪股さんはずーっと「親子の日」のサポートメンバー。 猪股さんはいつも「映画を作りたい」って言ってたから、映画を作る時の監督は猪股さんの役割かなと思って猪股さんに頼んだの。

B:震災があった年の6月に、東北に行って親子の写真を撮影して、被災者にプレゼントをしたんだけど、その時から猪股さんはいつも一緒に来てフィルムをまわしてくれて、それを編集してNHK国際放送の番組を作ったのが、映画の中で使っている東北のシーンになっている。

Y:HNKが、311にフォーカスして 『Forever』っていうシリーズの番組を作ったんですけど、その中の第1回目の作品として紹介されて、シリーズの中では評価が高かったの。だから、映画を作るって決めた時には「猪股さん一緒にやろうよ」ってお願いしたの。

●では、最後に映画について一言。

Y:そもそも映画を作った目的は、「親子の日」をみんなにもっと知ってもらう為のツールとして作ったから、そういう意味ではこれを観てもらったら「親子の日」を知ってもらえると思うし、「親子」というものをみんなが考えるきっかけにはなると思います。もしクリエィターとしてのブルースを描くんだとしたら、また別のアプローチがあったかもしれないとは思いますが、この映画は「親子の日」を普及するひとつのツールという認識。「親子の日」のスタッフがみんなで作った大切な作品。沢山の人に観てもらって、私たちが「親子の日」に込めた思いを一緒に考えてもらいたいです。作家としてのブルースに寄った映画を作りたい時期が来るのかもしれないし、そこはまた次の課題として残しておきたいな。

B:映画は写真とは違って動画映像なので、見せ方が違うという楽しさがある。初めてだから自分も勉強しながらやったけど、一生懸命頑張りました。ムービーにはスタッフがたくさんいるから、究極のコラボレーション。いい経験が出来ました。


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